· 

楽観的なものの考え方

私はよく人から、何でそんなにポジティブに物事を考えられるの?と聞かれる。

何故だろう。あえて言うなら、そう思うことで自分自身が救われるからかな、どうなんだろう?

 

こういう風になったことを自分なりに分析すると、やはりそのルーツはこの事件にたどり着く。

それは、大学に入学した年の夏のこと。1986年8月だ。

憧れの自動二輪免許を取得し、新車の400ccバイクを手に入れてとにかく嬉しくて走り回っていた。

しかしそれも束の間、バイクを手に入れてからわずか9日後には自動車と衝突事故を起こしてしまい、あえなく廃車に。私自身も近くの病院に救急搬送され入院することになった。幸いにも受傷は膝を9針縫合、あちこちの打撲くらいで済んだのだが、病床で、もう生きていくこと自体が嫌になっていた。病院に来た父親からは罵倒されるわ、母親には心配かけるわ。夏休み前に友人に「バイク乗るー」って喜んで言ってたのに、これでは夏休み後、友人にあわせる顔がない。いきなり事故ったなんて恥ずかしくて言えたもんじゃない。18歳の夏休みは後にも先にも最悪の夏休みだった。

 

怪我が治り、しばらくしてからのこと。やはり私はバイクが諦められず父親に話をしたが、全く取り付く島もない。何回お願いしても、大声で怒鳴られる始末。そこで18歳の私がした決心とは・・・。

 

今日はこれくらいにしておこうか笑。 ともかく、やりたいことはやる。へこたれていたら前には進めない。実現したいことを思い描いて前に進むのみ。その後の学生時代、社会人になってからも、何回となく失敗を繰り返してきたが、そのたびに何とかそれを克服しようと頑張ってきた。社会人数年目の頃は、その類の人生訓を学ぼうと本を読み漁り、その受け売りで寮の自室の壁面に「私はできる!」と紙に書いて貼り付けていつもそれが目に入るようにしたりしていた笑 一種の自己暗示だな。それでも、まあどうしようもないことも多々あった。ただそれから年月が経ち、30歳を越えたあたりから、あとから思うとまあまあ上手くいったのかなと思うことも増えてきた。40歳は不惑というけれど、確かに惑うのが面倒くさくなるというか、次に何かが起きても、「あ、前上手くいったんだから、今回もなんとかできるさ」と思うようになってしまったというわけだ。だから、どんなことにも一縷の望みは残されていると思い込み、それをクリアするための方法をいつも考える癖がついてしまった。なんとかできる!と常に思い込むこと。そうすると何とかなる笑。とはいうものの、ほんとどうしようかと頭を悩まし諦めかけたことがあった。確か43歳頃だったか。その土壇場、へこたれそうになったときに深夜の会社からの帰りの電車の中で手帳に書いた言葉は今も忘れない。

 

「自分を信じろ!」 (ここ、プロフェッショナル仕事の流儀、では全面黒画面に白抜きテキスト、やな笑)

 

そしてその後、突破口を開こうと手を打ったことが奏功したのか、私の所属していたチームの活動が目を見張るように改善され、驚くような展開となり、最終的に役員へのプレゼンも大成功に収めることができた。これはそれまでの仕事上で最高の経験だった。

ということもあり、仕事だけでなくプライベートでいろいろあっても何とかなるわ!と思うわけで、勢い自分に都合の良いように解釈して、妙にポジティブな言動になってしまうこともあるということ。まあそれもほどほどにしておかないと、へたするとなんとかハラスメントとかになってしまったり、単なるうぬぼれ屋に陥るので気をつけないと、と最近は特に思うが笑。

 

誤解の無いように言っておくと、仕事ではとにかく最悪の事態を想定する、つまりとことんネガティブに構えておかないといけないことが多い。なぜならそれらを放置しておくと事業としては大きな痛手を負うことになるからだ。どれだけネガティブに手を尽せるか、が実は一番大事なことかもしれない。守りなくして攻められないし。私の場合、ネガティブの発想力ももっと磨かないといけないな。もちろん、それと併せて、ポジティブに将来を思い描き、その実現目指して企画を練り上げるチカラも。なんだかすごい話に及んできたが、そのルーツは18歳のバイク事故にある、と今では思うというお話でした!!